すべてはポートレートから始まる|大森克己 × 池谷修一

Aug. 19. 2025

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ポートレートは、被写体と撮影者が向き合う“その瞬間”だけの共同作業。そこで交わされる視線や言葉、漂う空気――それらが写真という形で、時を超えて人の心を動かします。

写真家の大森克己氏と編集者でありキュレーターの池谷修一氏。「いい写真とは何か」「創作の原型としてのポートレート」の本質に迫りながら、ものづくりに携わる人ならきっと共感できるヒントが詰まった対談をお届けします。

Katsumi Omori

Photographer

写真家。ポートフォリオ < GOOD TRIPS, BAD TRIPS >で第9回写真新世紀優秀賞(ロバート・フランク、飯沢耕太郎選)受賞。主な写真集に『very special love』『サルサ・ガムテープ』『Cherryblossoms』 (以上リトルモア)、『サナヨラ』(愛育社)、『STARS AND STRIPES』『incarnation』 『Boujour!』 『すべては初めて起こる』 (以上マッチアンドカンパニー) 、 『心眼 柳家権太楼』 (平凡社) など 。 主な個展に < すべては初めて起こる >​​ (ポーラミュージアム・アネックス 2011) 、 < sounds and things > (MEM 2014) 、 < 山の音 > (MEM 2022) 、 < 心眼 柳家権太楼 >​​ (kanzan gallery 2024)など。
参加グループ展に < 路上から世界を変えていく > (東京都写真美術館2013)、 < Gardens of the World > (Rietberg Museum 2016)、 < 語りの複数性 > (東京都公園通りギャラリー 2021)などがある。写真家としての作品制作活動に加えて『BRUTUS』『POPEYE 』 『暮らしの手帖』などの雑誌やウェブマガジンでの仕事、 数多くのミュージシャン、著名人のポートレート撮影、エッセイの執筆など、多岐にわたって活動している。2022 年にはエッセイ集 『山の音』 (プレジデント社)を上梓。

Shuichi Iketani

Curator / Editor

神奈川県横浜市生まれ。武蔵大学人文学部卒業。Bゼミスクール参加。2011年から2020年まで、『アサヒカメラ』編集部に在籍。現在は写真集の編集や展覧会のキュレーション、ワークショップを行っている。「木村伊兵衛写真賞」事務局担当。スライドショー「LONG SEASON」主宰。主な編集作品に『WOMEN』(ソール・ライター)、『terra』(GOTO AKI)、『少女礼讃』(青山裕企)、『On The Corner』(ハービー・山口、中藤毅彦、大西みつぐ)、『深い沈黙』(小林紀晴)、『90Nights』(藤代冥砂)、『SHORES』(木村克彦)、『この星の中』(三森いこ)など。はじめてキュレーションを行なった展覧会は、荒木経惟の「色景」。近年手掛けた展示に「写真家はどこから来てどこへ向かうのか —世界を歩き、地球を変換する写真」(西野壮平× GOTO AKI)、「ウロボロスのゆくえ」(土田ヒロミ)、「すべて光」(熊谷直子×川上なな実)、「KIPUKA: Island in My Mind」(岩根愛)、「七菜乃と湖」(笠井爾示)、「裸足の蛇」(佐藤岳彦)、「たしか雨が降っていたから、」(インべカヲリ)、「Fat Fish Observations Report(Planet Fukushima 5)」(菅野純)などがある。2025年「ニュー・ピクチャーズ」展(The Reference / ソウル)にキュレーション参加。

池谷

大森さんが人を撮ろうと決めたのはいつ頃ですか?

大森

10代の頃から、ポートレートやストリート写真が好きでした。人物が写っている写真や、人がいる場所が大好きだったんです。人間が何かをするという意味でいうと音楽やアートも好きなのですが、写真の一番の魅力は“時が止まる”ということだと思います。写真が人間の欲望を直で反映していると感じました。例えば、1970年代にはベトナム戦争の悲惨な光景や出来事に関する写真が、グラフ誌や新聞にたくさん掲載されていましたよね。

池谷

確かに、今よりもいろいろな写真が新聞に出ていました。小学生の頃は、学校の図書室で戦争の衝撃的な写真が目に入るたびに怖いと感じていたのを覚えています。

大森

当時はインターネットがなく、印刷メディアでは写真が大きく扱われていました。ほとんどの家が新聞を購読し、親や先生からも「新聞を読みなさい」と言われていた時代です。好きなミュージシャンやバンドの写真が掲載された音楽雑誌や、グラビア雑誌も大好きでした。そんな風に僕は、20世紀的な印刷メディアにどっぷりと浸かって育ちました。“人間は面白い”という気持ちをずっと持っていましたが、本当に自分が人を撮ることを切実に感じるようになったのは、1994年のキヤノンの写真新世紀でロバート・フランク賞と飯沢耕太郎賞をいただいた中南米を旅して撮影したブックを制作した時です。

池谷

フランスのロックバンド「Mano Negra(マノ・ネグラ)」の中南米ツアーに同行したんでしたっけ?

大森

そうですね。1992年の半年のツアーに同行し、その前後も含めると1年ほど旅をしながら撮影していました。そのときの写真を自分で選んで編集して、126ページのブックを作り上げたんです。

『GOOD TRIPS, BAD TRIPS』
池谷

それが『GOOD TRIPS, BAD TRIPS』ですね。このブックは、報道写真っぽさを感じます。大森さんが以前見ていたというグラフ誌や新聞のようなインパクトを感じるので、無意識に影響を受けているのかもしれませんね。旅のテーマそのものよりも、肌触りや体温、現場の空気みたいなものを強く感じます。このブックには、良い意味でクラシックなテイストがいっぱい入っていて、まさに20世紀的な正統派です。

大森

自分としてはポートレートを撮ろうと考えていたわけではなく、旅そのものや、そこでの出会いに、ただただ興奮して撮影していました。自分の目で見て、すごいな!と思ったらシャッターを切り、そして選ぶというシンプルな流れです。撮るときはもちろん、編集するときも、自分の感覚を大切にしていました。撮影後は2年ほどかけてブックを作ったのですが、偶然にもできあがったタイミングで写真新世紀があったので応募したところ賞をいただけました。この作品のおかげで、改めて写真を学び直すことができたんじゃないかな。

池谷

体験こそ学びだと思うんです。先生は、ここに写っている人や現場。そこに自分がぶつかっていくことで予測できないことが生じ、それがすべて学びにつながっている感じですね。受動って、実は能動的じゃないと正しく受け取ることができないと思うんです。しかも、予測して事前に学習し過ぎていると、受け止めきれない。自分が予測した方向に結果を当てはめてしまうので、こういう風に撮影すればいいんだという処理になりがちです。その対極にあるのが、このブックだと感じました。

大森

ドキュメンタリースタイルの写真の良さは、無意識の含有量が多いことかもしれません。例えば、ある人物を撮ろうと思ってシャッターを切ったとしても、他の人もいるし、ビルも空も写っていますよね。結果的に写ってしまった無意識も含めて、写真の面白さですよね。あと、撮ったばかりの頃は実体験の感覚のほうが強く、自分の写真との距離感が上手く掴めず、1年ほど置いてから写真を選んでいます。素直に写真として見られるようになるには、やはり時間がかかると思うんです。人が好きだ、面白いという気持ちは本当だけど、それが誰にとってどう伝わるのかはわかりません。これは31年前のブックですが、長い時間が経過してから全然知らない人が見て「いい写真ですね」って言ってくれるのは不思議ですし、とてもうれしいですね。

池谷

1回寝かせることでクールダウンし、客観化しているんですね。第三者的な視線で見られるようになるまで自分をコントロールし、面白い写真、残る写真、いい写真という視点で選んでいくことで、いろいろな人の脳内で異なる反応を引き起こしていく。大森さんにとっては現実のほうが面白かったとしても、写真にしたからこそ見ている人に新たな何かが派生していくんだと思います。ちなみに、どんな風に写真を選びましたか?

大森

当時は、写真の分類ができなくて苦労しました。今思うと、体験のほうに思い入れが強すぎたんでしょうね。実は、このブックを作る前に、風景写真だけを集めて展示したことがあるんです。それはそれでうまくまとまっていたと思うのですが、一人旅のような内向的な雰囲気になって「何かが違う」と感じてしまいました。そのときはライブで行われていたパフォーマンスの写真と、ストリートスナップ的な風景写真のように異なる世界観をつなげることに違和感があったんです。でも、1人の人間が生きていれば、異なる出来事が起こることって普通にありますよね。今は人と会っているけれど、その前は銀行に行っていたといったようにつながっている。実際の世界がそういう風にできているんだから、ライブも風景も人物も1つにまとめることもおかしくないと考えるようになり、ブックには両方の写真を組み込んでいます。

池谷

いい話ですね。しっかりプリントして、展示した結果を自分で受け止めて、でも何かが違うと感じたってことですね。

大森

そう、展示をしたのがめちゃくちゃ大きかったと思います。自分のやり方は非常に20世紀的かもしれないけれど、それがありつつ今につながっているのも事実。そこをどういう風にアップデートしてきたか、ワークショップに参加してくれる人に具体的に伝えられたらいいなぁと思うんです。

池谷

人が個人で持っている記憶とか感覚って、当然ながらそれぞれ体験の蓄積によって培われてくると思うんです。お話を聞いていて、大森さんはすごく“写真家だな”と思いました。撮りきれないものに向かっていて、でも日々撮っていて、しかもあとからもう一度見返さなければいけない。無意識に脳に刻まれていることを時々引っ張り出してみて、さらに何十年かたってから見ることで再びパッと出てくるみたいな。良い仕事していますよね。

大森

ありがとうございます。でも20世紀的な環境のなかで培われた写真だけど、今でも同じようにやろうとは思っていません。やっぱりフィルムだよねとはならないし、デジタルと両方できるのが楽しい。あと、自分は写真の学校を中退して様々な試行錯誤を重ねたので、これまでに独学で獲得してきたものがほとんどです。だからこそ、歴史の重要性を実感するようになりました。例えば、西洋絵画の遠近法って写真につながる根っこの部分ですよね。特にバロックから古典派、印象派以前くらいまでの絵画の光と影の扱いは特徴的で、写真の光の方向性を学ぶのに参考になると思います。フェルメールがピンホールカメラのようなもので写して素描していたという説もあるし、西洋絵画の歴史の中で写真をみるのは面白いと思います。

池谷

確かに、光とか構図の取り方とか、参考になりますよね。

大森克己
シリーズ “ sounds and things “ より
大森

でも、時代が進んでいくと、現実の光はもう少しボンヤリしているときもあるよねとなっていきます。みんながはっきりした強い陰影のある写真を撮るわけじゃなく、柔らかな逆光の写真もあるわけです。人に大きな影響を与えるのは、何となく良い感じだからというだけでなく、そこにリアルを感じるからじゃないかと思っています。初めは現実のように見えることが大事であって、そこから本物そっくりでなくても良くない?となっていき、それ自体にオリジナリティーが発生する。リアルって何だろう?っていう話ですよね。ただ、みんな感覚だけでやっているわけじゃなく、理由があるはずなんです。例えば、バロック絵画っぽく撮ろうと思っていなくても、やっぱり自然と窓際に人を立たせてしまうように、ある種の普遍的なものがあるんじゃないかな。自分が撮った写真も、無意識に似たような光や構図を選んでいるときがあります。

池谷

普遍的=リアルってことですね。僕は大森さんよりも撮影してきている量は少ないわけですが、自分でも“確かに影響を受けているな”と感じることがあります。僕の場合は、絵からの影響が多いかもしれない。

大森

撮影の時は、できるだけ意識しないようにしてます。規模が大きな広告写真の様な仕事でも、カメラ1台でふらっと撮ったように見えると良いなと思っているんです。作り込みすぎないほうがいい。マノ・ネグラのツアーのときみたいな感覚をずっと持ち続けている感じです。あと、写真を選ぶとき、決め事的に“カッコいい”と言われるところに持っていくのはつまらないじゃないですか。狭い世界の中でしか構築されていないのは、一番つまらないと思うんです。偶然性もないし、世界観も狭い。本来のアートは、広い世の中の、いろんな事象を「これはいったい何なんだろう?」って掘り下げていくものですよね。そのためには分類したり、構造的に見たりする必要もあるけれど、それに加えて写真は個人のクレイジーさとか、感情、皮膚感覚みたいなものがミックスして出来上がってしまう面白さがあるものだと思います。

池谷

見せたい欲って人間の癖のようなものだから、それをあえて寝かせることで、選びに対しての気づきになる。「これがいい」と瞬発的に思う癖に対して、「いやいや、それは浅いんじゃないの?」と疑うところから、ようやく次の深みが始まるんじゃないかな。ちなみに、ポートレートならではの面白さはありますか?

yuki
『YUKI Girly☆Rock』(ソニー・マガジンズ 1997)表紙
1996年の12月、JUDY AND MARYのレコーディングのためロンドンに滞在していた YUKI を撮影。現地在住の知人を通して若いアーティストが住んでいそうな部屋を3カ所紹介してもらって場所を移動しながら、どんな空間に彼女が佇んでいればカッコいいか直観的に決めて、収録したすべての写真を1日で撮影。ヘアメイクとスタイリングを YUKI 自身がやったのも最高でした。
サニーデイ・サービス
サニーデイ・サービス『the City』(2018) の LP ジャケット
メンバーの家族や友人たちが、秋のとある週末の朝、下北沢の公園に集合して撮影した。とうとい記念写真。
大森

僕のポートレートは基本的に「そこにいてくれればいい」という考えなので、逆にどこで撮るかが大事だと考えています。場所選びに確信が持てれば、どんな格好をしていても「あなたはあなたでしょ」って思えるんです。

池谷

それはありますね。ピンとくる場所が見つかれば「これで行こう!」っていう気持ちになるけど、そうじゃないとモヤモヤがずっと残りがちです。よく「ポートレートの撮影では、その人とのやり取りが写る」なんていいますが、まさにそれが今の話につながると思っています。背景や場所はコミュニケーションが取れるならどこでもいいというわけではなく、この人とのやり取りを考えたら、この場所しかないでしょうみたいな。

大森

もっと言うと「絶対にここだ!」と思える場所があるはずです。だから、普段からいろいろな場所を見るようにしています、というか見てしまう。撮影やロケハンのときにだけ考えるんじゃなく、普段から「この壁いいな!この路地好きだな!」みたいなことが、自分の中にどんどん増えていく感じです。

池谷

僕はいろいろな場所を見たとき、なぜそこが良いと思ったのかを考えるようにしています。ただなんとなくここがいいなというだけでなく、なぜその場所に惹かれたんだろうと考えることで、何かが心の琴線に触れたときに発動しやすくなる気がするんです。普段から、自分の中の引き出しを増やす感じですね。そういう意味では、あまりタイパやコスパを考えないことが大事かもしれません。ここにこだわりすぎると、浅いものしかフィードバックされない気がしています。

大森

そうそう、さっき話をしていた“無意識の含有量”が減っていく感じがするよね。

池谷

もしかすると、最近の人は無意識の含有量を増やしていくことに不安を感じるところがあるのかな。今の時代ってパッと答えが出ることが多いから、瞬発的に反応する回路ができ過ぎてしまっていると思うんです。しばらく放っておいたり、寝かせておいたりして蓄積することが減っていますよね。反射的に答えを出すのではなく、じっくりと考えてから引き上げて、こうだったのかもと思うほうが実は深い答えが出るんじゃないかなって思います。

人を撮ること、ポートレートに深く向き合うことは、それを導いてくれるんですね。

Information

ワークショップ「ポートレート・スタディーズ」

ポートレートの面白さや奥深さを、実際の現場で体験してみませんか。
大森克己氏と池谷修一氏によるワークショップ「ポートレート・スタディーズ」がはじまります。ポートレートを根本からとらえなおし、その研究と実践を繰り返しながら、いかに魅力深いポートレート写真を生み出すかを体得していきます。今回の対談で語られたような「いい写真とは何か」を、自身の手で探る時間になるでしょう。

開催日程
第1回 9月6日 (土) 〜 計8回開催

詳細・お申し込み先
https://al-tokyo.jp/news/portrait-studies2025/

by Katsumi Omori

すべてはポートレートから始まる|大森克己 × 池谷修一

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